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体験レポート クアラルンプール(マレーシア)2

佐藤智男様ご夫妻 「出歩くことでマレーシア・ステイを体感」

クアラルンプールご滞在(2011年3月16日~22日)


第1日目

クアラルンプールでロングステイ

成田発9時15分、CX509便、香港経由クアラルンプール着19時20分。
天候不良で少し遅れて目的のクアラルンプール国際空港に到着。メインのターミナル(離発着・入出国審査等)にはバスでの移動であった。ターミナルの中には免税店等がありパスポートコントロールへの道のりは標識の確認に手間取るが通関はスムーズに終え出口へ。

海外ステイ.comが手配された出迎えの旅行担当者とはすぐに会うことができた。然し、その旅行社は他のグループをも一緒にPICK-UPと言う事で暫く出口付近で待機。
約40~50分待っても他のグループの待ち人来たらず・・・・・私たちは指定の宿舎に着くのが遅くなるので出迎えの担当者と交渉し、先に宿舎への車を手配してもらい高速道路を一路クアラルンプール市内(約一時間)の宿舎「ノマド・スカサ」へ。
途中、お迎えのガイド・スタッフさんがマレーシアの生活で知ってて欲しい知識として主な事を説明してくれた。

特に注意を要する事。
1)車優先社会である。道路を横断する際十分注意すること。オートバイには特に注意が必要。
2)子供の「頭」には絶対に手を触れない。宗教的な規律(イスラム・インド社会)
3)「優しい人に」日本語で声を掛けられても無視すること。友達になると大変なことになる。
*「賭け事」「物を頼まれる?」などで失敗する。
4)買い物・食事などの際などには「置き引き」に細心の注意を払う。「バック類」は、必ず前に持つ。人混みでのスリに注意。
5)貴重品は持ち歩かない。*パスポート・多額の外貨など。
6)他の人に「人差し指」を指さないこと。
7)「両替の方法」等等。
8)もし、TAXIに乗るときは“綺麗な車”を選ぶこと。(安全・安心)

宿泊施設「ザ・ノマド・スカサ」チェックイン」後、簡単に部屋(ワンベットルーム・リビングルーム兼簡易キッチン)の設備の使用の説明を受けた。部屋は「ツインタワー」が眺められる好位置だった。
日本とは一時間の時差がある。もう23時を回った。就寝。


第2日目

滞在施設からのマレーシア

この宿泊施設は好条件にも「朝食付き」であった。
マレーシアの一日目は7時30分起床。早速、マレーシアの朝食に与かる。中華・インド・洋食を合わせたアジアのバイキング朝食であったが違和感なく結構美味しく食をした。デザートのパパイヤ・メロンは旬であった。

食後、ガイドブックを広げて滞在期間中の行動の確認。
今日は先ず、クアラルンプール市内の散策。宿泊施設が市内に無料手配してるシャトルバスで「ツインタワー」へ。
世界第三位の高層ビルで中にはデパート(伊勢丹)・高級ブッテク・食品・家具・雑貨店・お土産店・レストラン・スーパー・果物店など何でも在り。

*まず、両替所でマレーシアの「リンギット(RM)」に交換。
10,000円>約300RM。

その後、タワー内の店先で商品価格のチェック。感覚的には物価は中国に比べるとあまり安くはなさそう。

昼食は一階の食品売り場の入り口に出店しているテナントの中で“ピザ”と“マレーシアスープ(野菜ポタージュ風)”を試食したが意外と口に合う。

お腹を満たした後、ツインタワーを出て付近の通り(ジャラン・アンパン通り)をウインドーショッピングしながら散策。想像以上に小奇麗な街であった。途中妻が見つけたショッピングモールに入る。

マレーシアのバティック

妻ははじめからの予定なのか“衣服”の買出しに邁進。私は、マクドナル店にて“ポテトチップスとコークを与えられTV放送のサッカーを観ながら時間を消費。

宿舎施設への帰りはタクシーでと思ってタクシー乗り場に行こうとしたら丁度バスが目の前に止まりバスの車掌が“これに乗れ乗れ”と合図をしている。「ノマド・スカサ」と言うと“OK”のゼスチャーに迷うことなくバスに乗車、しかし、バスの車掌は客の呼び込みに忙しく客が一杯になるまで走る気配がない。これは失敗だったかなと思いながら車掌の呼び込みを眺めていたが結構楽しくやっているのにこちらも微笑ましい気持ちになった。
ようやく走り出したバスは二つ目の停留所が私たちの宿泊施設のある「ノマド・スカサ」であった。RM1(約27円)の楽しいバス乗車経験をした。

宿舎に着いて明日からの行動をチェック。
滞在施設にある観光旅行社の担当者と時間と予算を話し合いながら決定。現地の旅行社なので英語しか通じないが日本で考えていた予算より安く上がりそう。

その後、近所のスーパーで食料の買出しと夕食はアラビアン料理の看板がある軽食堂に入りセルフサービス式のちょっとスパイスの効いた食事を摂った。値段は量分の多少に関わらず一皿RM14(約380円)、お替りは追加料金が掛かる。

今日はクアラルンプール生活第一日、いろんな経験を楽しみながら過ぎた。日本にいる留守居の子供達に電話、地震の状況・安否確認、22時就寝。


第3日目

マラッカへ小旅行

今日は世界文化遺産に指定されている「マラッカ市」の観光である。
午前9時宿泊施設からの出発。ワンボックスカーに妻と2人きりであった。運転手兼ガイドは“マレーシア人”でしたが英語が話せるのでとても安心な気持ちで乗車。
「マラッカ」までは120KM・約1時間30分のドライブ。椰子の樹が美しく映え並ぶ高速道路を快調に下る。日本車が多く目に付く。

途中、ドライバーがマレーシアについてポルトガル・オランダ・イギリスの植民地や第二次世界大戦・その後共産主義勢力との戦いに勝利し1957年に英国植民地から独立するまでの歴史を話してくれた。戦時中一時日本が占領したことをも始めて知った。

現在は、マレー人(約60%)インド人(20%)中国系(15%)其の他(5%)。
一般生活ではモスレム・ヒンズー・カソリック・仏教等、宗教が大きなファクターを占める。モスレム国家と思えるが先代のマハティール首相による「ルック・イースト政策」の影響が大きく東南アジアのなかでも多くの日本の企業が進出し近代国家に成長した。

マラッカでロングステイも!?

マラッカ市内では、マレーシアの歴史が人目で解るオランダ広場に威厳を誇る「ババニョニャ歴史博物館」をはじめ「セントポール教会」・「オランダ街」・「中華街・アンテイックSHOP」を探索後・マレーシアを代表する「ニョニャ料理」レストランで昼食を摂る。





ニョニャ料理

*「ニョニャ料理」とはマレーシアの現地人(娘)と中国から渡ってきた中国人(男性)が結婚して作ったマラッカ地方独特なスパイスの効いた名物料理であると言う。

また、「ババ・ニョニャ文化」と言われる特別な文化が生まれた。アンテイックSHOPで雑然と置かれている骨董品の中から「ババ・ニョニャ文化」の色彩豊かな陶器皿と堅樹で作られたもの容れをお土産に購入。値段は定かではないが付いてる値札の約半額で交渉が成立。高価な買い物で得をしたような気分。

その昔、海賊との戦いや外国の侵入者との戦跡が残る「サンチャゴ砦」の見学は時間的な都合で観ることができなかったが、最後にマラッカ海峡を見下ろす小高い丘に建つマラッカを代表する中国寺院を観て帰路につく。途中、雷雨に遭い高速道路では事故が相次いで起こって渋滞が発生、のろのろ運転が続く。安全運転をドライバーにお願いする。夕刻予定時間を大幅に遅れてクアラルンプールに到着。

夕食は、昨日仕入れた野菜をサラダにし日本から持っていった「ソーメン」と軽い食事で胃袋を調整。

放映されていた“NHK”の番組が突然消えてしまった。フロントに問い合わせたところそのうち回復するだろうとの事。(I HOPE!!!といわれたが????)
湯舟に湯を満杯にゆっくりと浸り今日の疲れを癒す。
22時 就寝。


第4日目

今日はクアラルンプール市内を昨日の運転手の案内で探索。
時間に几帳面な方で約束の9時には宿泊施設の門前で待機していた。

クアラルンプールでロングステイ

今日の予定は、
①滞在施設付近の案内
ジャランアンパン地区はクアラルンプール市内で「外国の大使館・また政府の高官等が住んで居る地区」で最も安全な治安の良い地帯で在る。(アメリカ・フランス・カナダ・イギリス・ドイツ・シンガポール・日本等等約20数カ国の大使館)
また、スーパーマーケット・レストラン・コンビニ(7・11)・雑貨店・お金の両替所もある。ジャランアンパン通りはツインタワーへは一本道でタクシーでもRM10(約270円)の距離、非常に便利なところである。*バスはRM1(約27円)。

②クアラルンプールで一番古い刑務所
刑務所の塀の壁には服役者が“指”でペインテングしたといわれる絵が描かれている。

③日本人戦没者墓地
日本からの支援はないが現地の大使館が手入れをしている。少し心寂しい感じであった。

④イスタナ・ネガラ王宮
マレーシアの国王の宮殿で多くの観光客で賑わっていた。少し小高い丘にあり庭もきれいに整備され壮麗であった。大勢の観光客に混じって私も門衛兵と記念写真。

⑤ナショナル モニュメント(国立戦没者記念公園)
ヨーロッパの植民地支配者・第一次大戦・第二次大戦・後の共産主義ゲリラとの壮絶な戦いに勝利し死んだ多くの戦歴者が奉られている歴史的な戦没者記念公園である。
マレーシア人の魂が眠る・・妻が現地マレーシア人(イスラム教の夫人方)と記念撮影。

⑥KLタワー
市の中心・森林保護区の丘の上に立つタワーで、高さ421メートル(タワーの実際の高さは270メートル)といわれている。遠目にはツインタワーより高く特徴的なランドマークタワーでパイナップルの形をしている。55歳以上のシニア割引で入館
展望館内よりクアラルンプール市内の遠望が眺められるのですが今日は薄日(曇天)で霧がかかり綺麗な眺望とはいかなかった。展望台まではエレベーターで一瞬であった。日本語のイヤホン案内で展望台を一周しクアラルンプール市内の景観はおおよそ解かった。

⑦独立広場(ムルデカ・スクエア)
イギリスの植民地から1957年8月31日に独立した歴史的な広場である。イギリス統治時代に造られたクラブハウス(イギリスの風格)は今もその当時を漂わせている。その昔、クリケット競技が繰りひろげられた綺麗に整備され芝生は美しく8.2ヘクタールの広大なグランドで記念撮影。マレーシアの国旗が麗しく風にはためいていた。

*ドライバーの余禄:その広場の裏側路地、観光客はほとんど立ち寄らない場所に二股に分かれている河が存在する。マレー半島に最初の中国人がやって来たとき海からその河を遡って島の中まで舟を漕いできた。ところがその場所で二股に分かれていた“さてどちらの方向に行くか”・・・迷った挙句右の方向を選んで遡った。付いたところが現在の「アンパン地区」だった。
ところがその場所は熱帯のジャングルで「蚊」が沢山いて多勢の人々がマラリアにかかり発病・病死した。残ったのは僅35人だけだったとか?悲劇を生んだ。
残った人はそこから引き返した。その意味がマレー語で“哀しい泥の河”「クアラルンプール」と言い現在の都市名「クアラルンプール」として残ったという。

⑧ナショナル文化工芸博物館
マレーシアの民族工芸品の歴史と発展・あらゆるものを一堂に会した館で一見に値する。
職人が工芸細工の実演も行っている。販売価格も“ピン・キリ”本当の良いものを手に入れたいならここで買うことお勧め。

⑨チャイナタウン(ブリタン通り ・ハン・ルキル通り)
ここは「何でもある」衣服・靴・雑貨・人形・電気商品・花屋・お土産品・果物・食べ物・アンテイック等などの屋台が立ち並ぶ。マレーシアの現地の人はもとより、観光客・外国人まで多士多彩の人々で「ごった返し」ている。人混みに揉まれながら何を買うともなく一回り、商売人の“根性”がここにはある。

⑩セントラルマーケット

クアラルンプールのセントラルマーケット

観光客向けのお土産屋がテナントの中に賑やかな飾りで客を呼ぶ。プロの仕事である。また、足マッサージや美容(エスニック・スパ)も見受けられた。妻が「フィッシュドクター」で足の角質を取る“フィッシュスパ”にトライした。(小魚が足に回りつくのは壮観であった。)ここで日本へのお土産を購入。




⑪マレーシアの民族舞踊ショー鑑賞(スリ・ムラユ レストラン)

マレーシアの民族舞踊ショー鑑賞

観光客なら必ず訪れるというセルフサービスながらマレー料理ブッフェの食事をしながら民族舞踊ショーを“観る思いで創り”に参加。
観客は圧倒的にアジア系・中近東系が多く食事時のマナーは習慣の違いをここでも痛感させられ(列に並ばず割り込む・料理はゴッソリと盛る・子供は無視・我儘やりたい放題?)騒音?を遮りながらも楽しい食事と民族舞踊ショーを鑑賞、思い出に残るひと時であった。

⑫クアラルンプール鉄道駅・旧市庁舎・ブルーモスク等は車窓から眺めて時間の節約。

ドライバーの良き案内で駆け足での市内名所巡り・観光と思いで尽きないクアラルンプールの長い一日であった。 
22時就寝。


第5日目

インドヒンズー教の聖地「バトゥ・ケーブ」

今日の午前中はインドヒンズー教の聖地である「バトゥ・ケーブ」(鍾乳洞の洞窟の中にヒンズー教の神“聖者スプラマニアン”が祀られている。)を見学した。

日曜日にあたりドライバーの来るのが予定より30分も遅れた。宗教的な慣習・礼拝もあるだろうし待つのが賢明。宗教国家では仕事より宗教的行事の方が優先されるのが慣例である。「バトゥ・ケーブ」はクアラルンプール郊外、高速道路で約30分のところで独立した小さい山にあった。山の正面には黄金色に輝くヒンズーの神が眩しく威厳を保ち建っていた。

正面入り口から山の頂を目指して一直線に階段が延びている。272段の石段である。多くのインド人や観光客の老若男女に混じって私も一所懸命に登った。途中山に生息している“サル”にも出会う。妻は三分の二ぐらいで途中リタイア。
私は鍾乳洞の奥にある「聖者スプラニアン」が祀られているところまで行って礼拝。今日も祀りごとが敬虔な信者を相手に厳かに行われていた。鍾乳洞の上には“ポッカリ”と穴が開いていて?僅かながら光が射し鍾乳洞の中の神々の威厳をさらに増しているようだ。

インドヒンズー教の聖地「バトゥ・ケーブ」2

帰路階段を下った正面入り口の傍の屋台店で“椰子”を飲んだ。“液”は少し緑臭いが自然でとても美味しかった。

遅い昼食であったが宿泊施設で日本から持参した“ご飯”・インスタントラーメン・地元のスーパーで仕入れた野菜と果物のサラダで暫くぶりの日本食感覚を味わう。
午後は休息。

夕刻、最後の観光「熱帯のクリスマスツリー」クアラ・セランゴール川の蛍鑑賞。
ドライバーが4時30分に迎えに来た。行き先はクアラルンプールの郊外で高速道路を西北に向かって走っているようだ。高速道路から熱帯樹林・椰子の並木が延々と続く市中の道を約1時間30分。
地名は忘れてしまったがマッラカ海峡が見渡せる小高い丘に無名戦士の墓地がある公園にマレー半島に生息する珍しい“モンキー”がいた。生まれたばかりの子供は“金色の毛で覆われているが大人になるにつれ”銀色“に変化する。観光客に餌をおねだりする様は実に微笑ましい。が、そのうちの小猿一匹がたぶん車に当たったのだろうか死んでいた。間をおかず親猿が飛んできて抱きかかえて高い塀に登って小猿の体を嘗め回していた。こちらにもその悲しむ姿が伝わり可哀相になった。

夕食はセランゴール川のほとりで川から捕った魚の料理(蟹や海老の海鮮料理)。スパイスが効いていて美味しかった。料理につられてマレーシアで初めてのマレーシアビール(タイガー印)を隣のテーブルの現地人(マレーシア人)と歓談しながら賞味。

7時30分、夕闇がおりて「蛍鑑賞」の舟(モーター付き・10人乗り)の出発時間、安全衣を纏い“スペイン系らしき外国人”との相乗りで一路出発。舟が走っている方向は暗くて定かではないが多分“セランゴール川”を遡っているのだろう?

出発してまもなく突然“雷雨”がやってきた。
雷が轟き・雨も降ってきて少し不安がよぎるも・・・船頭さんは整然と舟を目的地へと波飛沫を上げながら疾走させる。約20分くらい走ったころ舟がゆっくりと“マングローブ”の林近くを旋回。すると近くのマングローブの樹に白い色をした“海鳥”(名前は解からない?)が暗闇の中に一塊になって泊まっているではないか。舟のエンジンの音に反応したかのように数羽の鳥が鳴き声を上げながら飛び交う。ここは“俺様たちの縄張り・住処”だと言わんばかりに。

舟はそこからまたゆっくりと暗いマングローブの森を見ながら進む。
その時、何か“光る”ものが一本の木から放たれた。目を凝らしてその周りを見渡していると“ボー・ボー”と光が飛んでいる。間違いなく“蛍”である。舟の乗客から一斉に歓声が挙がる。雷雨のため飛んでいる蛍の数は稀ながらまさに幻の「真夏のクリスマスツリー」であった。

この川辺にしか生息していない希少価値の高い生物(生息期間1ヵ月の寿命)なそうだ。
雷雨のなか船頭さん、貴重な体験を有難う。気がついたら雨で衣服は濡れ、やぶ蚊には刺されるはで大変であったが記憶に残る熱帯の経験をさせてもらった。

帰路は舟らか上がって後はドライバー任せ夜の高速道路を一路クアラルンプールへ。


第6日目

今朝はゆっくり起床。9時に朝食を摂る。相変わらず私は食欲は旺盛・妻はお疲れの症状。
クアラルンプールも今日で最後の日を迎えた。今回のスケジュールは私的には普通であったが妻には少しきつかったかも?文句も言わず付いて来た妻に食後、お礼代わりにツインタワーの中の「足つぼマッサージ」で旅の疲れを癒す。45分-RM48(約1300円)。

午後はバタフライガーデンを見学後、クアラルンプールを象徴する国際色豊かな古くて新しいオシャレなエリア「ブキッ・ビンタン」通りのウインドーショッピング・フリーマーケット街を探索、噂に違わず平日にも係わらず大勢の人々で賑わっていた。

もちろん、幹線道路は車の大渋滞、タクシーを捉まえるのも大変な状況ながら運よく綺麗なタクシーが捉まえられ、また、ドライバーがプロ中のプロで渋滞道路を走ることなく裏道を熟知していて難なくジャラン・アンパン「ノマド・スカサ」までRM20(約540円)で走ってくれた。

言葉“英語”が話せることはここでも通用した。妻が感心?
最後の大仕事、買い物した荷物をバックにどの様に納めるか。
クアラルンプール最後の食事は、日本から持ってきた食べ物・クアラルンプールのスーパーで仕入れた野菜・果物・飲み物等、有り合わせであったが材料が豊富にあり結構ご馳走が食べられた。
フロントに問い合わせた時「I HOPE!!」といったきり“NHKのTV”放映はその後一切無しであった。これも海外・・・
6日間お世話になったこの宿泊施設「ノマド・スカサ」を明日の朝にはチェックアウト。
空港行きの車の迎えが6時の約束。



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